haru0331kun’s blog

主にインフラや地方自治について書きます。

失敗を経験しないとは?

 

日本人って、大きく失敗したことのある人間が少ないように思える。

 

勉強を例に取ろう。なぜだかよくわからないけど勉強では「平均点」を取り続ける。赤点もないけど特段得意な科目とかがあるわけでもない。勉強を例にとっても、こんな感じで「普通」の人間が溢れているように思える。

 

俺はちなみに、この「普通」の意味がよくわからなかった。勉強では、数学とか自分にやる意義のわからない科目とかは徹底的に勉強しない、だからこそよく数学や理科では赤点を連発していた。

 

他方、社会や英語のように自分が興味あると思える科目にはめちゃ力を入れる。基本的に80点を切ることはなかったし、社会は100点を何度も連発していた。

 

俺からすれば、苦手な科目も得意な科目もなく、平均して60点くらい取れる人凄い。

 

 

勉強に関して言えば、俺は常に「めちゃできる」と「めちゃできない」の立場を同時に経験している。まぁこの極端な位置を経験し続けると、物事を成功させる方法を自分で解るようになるし、できない奴の気持ちや事情もある程度理解できるようになる。

 

では、「普通」に生きていることに対してなぜ俺が違和感を持つのか。俺はこの慣習が、日本社会にパワハラをもたらす原因の一つと考えているからだ。

 

まず、勉強が極端にできない子や、、人間関係がうまくいかない子など、「普通」に生きれない子供たちの気持ちを汲み取ることができない。

 

また、自分がどのようにして成功、あるいは失敗してきたのか、深く理解してないから相手に、自分の言葉で喋れない。

 

だからこそ、冷静になれない。無理矢理「普通」に抑えつけようとし、抵抗する子どもたちへのパワハラなどが横行する。

 

会社や自治体の部下や部活の後輩などに対しても同様のことが行われる。

 

 

「普通」に生きれない子は、ある意味自分に正直と言える。勉強が極端にできない子らは、やる意義を分かっていない子多い。逆に言えば、意義さえ感じさせることが出来れば、自発的に取り組んでいく。

 

もし今まで「普通」から外れてきた俺が家庭を持ち、息子あるいは娘が勉強嫌いに陥ったらどうするか。まずは勉強を一旦やめさせる、あるいは休学させる。

 

次に、山口県の萩に連れて行き、吉田松陰のことを学ばせたりして、「勉強の意義」を感じてもらうように工夫する。「普通に勉強ができない」ことに対しては怒らないし、むしろ自らが勉強する意義を考える、良い機会であると子供に教える。

 

さらに、自分も今まで意義を感じていなかったこと、どうやって再び勉強を面白いと思えるようになったのか、自分のエピソードを踏まえて子供たちと会話を重ねていく。

 

 

 

その上で子供たちがやる意義を感じ、自発的に取り組むようになったら、再び再開させるし、塾や受験など、子供たちが能力を伸ばせる環境を用意する。

 

 

 

以上、日本の「失敗」を経験しない社会と、それに伴う弊害について記してみました。