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アクセルとブレーキの話
一年前、父親から勧められた本で、「事実vs 本能」という本を読んだ。日常生活に関わることを詳しく分析していてとても良書だった。
考えると、人間って常に二つの異なる感情の葛藤のもとで生きている。例えば経営者や政治家。得た収益や税収を全て自分のものにしたい、権力をもとに綺麗な女性やイケメンを手に入れたいなどと言う「利己心」を心の奥底には必ず持っている。
まぁイケメンの代表例の佐藤健と綺麗な女性で思いついた新木優子。余談だがこないだバイト先に新木優子きたんよな、オーラがすごかった笑。
しかし、その利己心を全面に押し出せば社員や国民の怒りを買い、社会的に存続できなくなる。そこで、「再分配」「給料削減」などの「利他心」に基づいた行動や、利益に結びつかない行動も取らないといけない。
いわば、「利他心」は、人間の本能とはかけ離れた行動と言える。ただし利己心だけで生きれば人間社会は必ず壊れるし、そのことは社会学者ホッブズが、「万人の万人に対する闘争」としてその状態を表している。
一方、「利他心」だけで生きる社会はどうか。環境問題を来にとってみよう。一見、「環境を綺麗に」「節約しよう」などと言うスローガンを掲げる社会は素晴らしい。
だが、この社会はやっぱり「利己心」という人間の本能を無視しているため、長く続かない。または、人々は自分の本能を無視して生きるため、つらいと思いながら生きている。その不満のはけぐちが他人になり、やがて他人に自分の考えの押し付けや強制が始まっていく。
ちなみに、カンボジアやソ連などの共産主義国家で独裁・強権政治が行われやすくなるのは、この
「利己心」を無視して無理やり社会を作ろうとする営みから行われるものである。
ここまでまとめると、
人間には、本来持つ「利己心」と、社会的に要請される「利他心」の葛藤の下で生きている。利己心がアクセルだとしたら利他心はブレーキであり、それぞれが、アクセルとブレーキの匙加減を調整している。自分なりの車の運転の仕方を模索するみたいに。
ちょうどカーズみたいに。昔からこの映画大好きで何回も見てた。マックイーンも最初はアクセル=利己心全開で、傲慢な性格だったけど、ラジエータースプリングスに行って、ドックと交流を重ねる中で、他人を思いやる心などの、利他心=ブレーキを身につけたよね。最後のレースでキングを助けるシーンは何度見ても感動もの。
そして俺はこの、アクセルとブレーキの匙加減を身に付ける場が学校であり教育機関であると考える。ちょうど車の教習所のように。教育に携わるものは、カーズのドックみたいな人が理想的だと思う。
拙い話ですみません。
教育の話は長くなるのでまた今度。あと話が抽象的になってしまったので、次回からは具体例交えながら書きます。