haru0331kun’s blog

主にインフラや地方自治について書きます。

中国を分析する

 

中国は、民主主義という、人の過ちを長期的に修正できるシステムを持たない国=人治主義国家であり、日本や欧米などの法治主義国家とは大きく異なる。

 

まあ俺は住みたいとは思わないが、一方で、中国に学ぶ点は少なからずあると思っている。

 

①新幹線や空港建設など、国家プロジェクト建設に本気

→暫定二車線や260キロ制限(新幹線)等、けち臭い投資を行っている日本と大違い。

 

➁地方政府を立て直した人が中央に行く

→組織運営経験が豊富なため、リーダーシップや実行力が備わっている

 

③意外に地方に権限が分配されているため、国政と地方政府の役割が明確。

 

➁③から→基本的に内政は地方でやるため、中央政府は外交などに専念できる。

そのため、国家主席自ら外国に行く機会を増やし、海外における中国のプレゼンスを大きく上げることが出来る。

 

実際にアフリカや東南アジアの国などで、中国企業の進出などが相次いでいるのは、国家主席の外遊がかなり大きいと思っている。

 

 

④実利主義的外交

→アフリカや発展途上国の支援の際、日米欧からは「民主化しろ」等、お説教がましいことを言われることが多々あるとされるが、中国はそのようなことは言わず、相手にどれだけ利益が上げられるのか、を前面に出しながら発展途上国に支援を出そうとする。

 

最も債務のわな等、巧妙なわなを仕組み、結局その国の港湾施設などを開発した後に中国企業が乗っ取ることがほとんどではあるが。

 

こんな感じで中国について、行政機構や外交の面から分析してみた。

 

狭い島国で物資のほとんどを海外からの輸入に頼っている日本。本来なら首相自らがもっと海外に行き、プレゼンスを高めなければいけないが、地方分権が進んでおらず、国会で内政~外交に跨るあまりに多すぎる議題を話さなければならなく、そのことが足かせとなっている。

 

また、緊縮財政が長く続き、国家プロジェクトは中止、もしくはケチ臭いものしかできない。積極的に金を出して事業を拡大させようという機運が少ない。

 

そんな日本と中国を対比させたら学べることが多いのではないか、そう思ったのである。

 

 

 

 

 

大阪 医療崩壊の理由 ~実証的に分析~

 

俺は基本的に大阪維新の会の改革や政策を高く評価している。その中で唯一懐疑的なのが、コロナ政策。

 

大阪では高齢者と同居家族が多い、西成など貧困地域での感染がひどい、等様々な理由が挙げられるが、維新の対応が影響していることは否定できないと思う。

 

で、大体の知識人は、「維新ガー」「民営化ガー」など、維新の今までの政策を全否定しながら医療崩壊が起きたのだ、と話す。また、「公務員を削減したから起きたのだ!」という意見も多い。

 

俺はその人たちとは違った視点を取る。まず、今までの維新の公務員削減計画は正しかったと思っている。公的機関を縮小したことで経済も活性化したし、その収益で教育や福祉などにより手が回せるようになった。また、天下りや利権も大きく減った。

 

問題は、公務員削減に伴う、デメリットを補完する政策やリスクマネジメントを十分に取れていなかったことだと思う。

 

例えば保健所など、医療に関わる公的機関の削減。これを断行するときに、同時に行政事務の電子化などを断行していれば、人手が少なくなるというデメリットを縮小できただろうし、保健所のパンクも起きていなかっただろう。

 

また、病院を民営化するのであれば、緊急時には首長の権限が末端まで届くようにするなど、今までの関係を見直したりすることが必要であったと思う。もし今の法律で、民間病院への統制が効きにくいのであれば、国政維新の力を借り、法律改正などの手段を取ることも有効だったのではないか。

 

最も、緊急時に民間病院への統制が活き及ばないことは前から疑問に思っている。鉄道でも緊急時には国交省が、メーカーでは経産省等、管轄官庁及び自治体の統制がいくようになっているのに、なぜ民間病院ではそれが出来ないのかは不思議である。

 

こんな感じで、公務員や公的機関削減に伴うリスクマネジメント及びデメリット補完政策を十分に断行できなかったことが今回の医療崩壊及びパンクにつながったと考えている。

今までの維新の改革の方向性はむしろ評価している。また、リスクマネジメントやデメリット補完政策は一朝一夕でできるものではないし、コロナの襲来のタイミングも悪いとはいえる。

 

公務員が多くなくても、公的機関が少なくても危機を乗り越えることが出来る、そんな新しい社会を、今回の教訓を活かして維新は作っていくことを目標としてほしい。今回の医療崩壊に対してはきちんと失敗の原因を直視し、分析するのは忘れないでほしい。

左翼の特徴①〜思考法〜

 

今日はよくニュースで話題になっている左翼について分析する。

 

左翼は一人一人主張が違うのではなく、大体一貫して思考方法に特徴があることを発見した。

 

まぁ日本の教育自体がそもそも左翼的な思想を好むから、多かれ少なかれみんなそれに似た思想は持っている。

 

日本の教育のおかしさや問題点に気づき、自分でそこから抜け出せる人が世の中を色々と変えていく。

 

では順番に見ていこう。分量が多くなるから今日は途中まで。

あと、俺が想定する左翼は、
れいわ、立憲、共産、社民などの野党4党、マスコミ、一部の学者、それから大阪自民党

 

左翼の特徴は、
①物事を0か100かでしかみれない 
②場合わけできない   
③結果を振り返らない
④基本を疎かにする 
大体こんな感じ。

 

①から。
世の中そりゃ選挙や英検、漢検の受験など、勝つか負けるかという、0か100かでしか測れないものも存在するが、それはごく一部の話。  


人間関係とか、政治とか、大体は0でも100でもないグレーな物差しを使って俺らは生きている。

例えば仲の良い友達のこと全て好きか?といえばそうではないだろう。何かしら、嫌なところは必ず持っているし、抱いている。

 

政治だって同じ。支持する政党の政策全て支持しているかと言えばそうではない。
俺は今維新を支持しているが、大阪維新は支持しつつも、国政の維新の取り組みには疑問を持っている。また、大阪維新も、コロナ対策に対しては懐疑的である。

 

こんな感じで、0でも100でもない物差しを使っている。 

 

左翼はどの時に置いても0か100かでしか物事を見ようとしない。例えば前に国民民主党が与党の予算案に賛成することがあった。

野党といえども、与党の全てに反対するわけではなく、賛同できることがあっても良いと思っている。

その言動を見た他の共産党らはすぐに「与党の補完勢力」などと批判した。本当に0か100かでしか物事を考えられんのよな。

 

②に関しては ①と内容は同じ。   

基本的に左翼は理念が先行する。
「世の中平等であるべき」「平和を守るべき」などなど。

 

もちろん人間は頭の中で考えることでしか物事を見れないから、そのことを否定する気はない。

 

ただ、理念と現実を見比べ、その乖離を埋めようとする努力はすることはできる。左翼にはその努力がない、いやそもそもしようとしないように思える。

③と④についてはまた今度。

若者が政治に興味を持てない理由〜日常生活に置き換えてみよう〜

 

若者が政治に興味がないと最近よく言われる。実際興味持つ人は少なかったりする。

 

けど、俺からすれば逆に、「投票に行こう」と呼びかけたり、政治解説してる政治ユーチューバーとか、正直くだらないと思っている。なぜか?それやってる人は、誰も「なぜ若者が政治に興味を持てないのか」、その本質に切り込んでいないからだ。

 

俺が思うには、
政治が日常生活の延長だと思えてないことが原因だと思っている。だから親近感が湧かない。

 

政治の授業とかって、結構専門用語ばかり使っている。

例えば大きな政府とか、小さな政府の話。そこから始まり、リベラルや保守などさまざまな専門用語が出てくるし、初めて政治に触れる高校生なんかは挫折する子も多い。

 

 

ただ、政治って人間がやる以上、身の回りで起きていることがそのまま反映されることもかなり多い。それから、日常生活の具体例に置き換えることもできる。

 

では、先ほどの、大きな政府と小さな政府の話を親子関係に置き換えてみよう。ここで、政府=親、民間企業=子供と位置付けてみる。


子供が小さいときは、親がしっかり教育し、見守る必要がある。例えば公園で遊んだりする時は、親の目の届く範囲内で遊ばせる。また、子供だけでどこかに行かせることはしない。

 

このようにして、さまざまな規制をかけて子供を守り、育てていく。

 

これは、政治でも同じ。国がまだ発展していく段階、つまり民間企業にまだ力がない段階では、政府は需給調整など、さまざまな規制をかけながら民間企業を育てていく。

 

そう、明治維新後の日本なんかはまさにコレ。大久保利通は、官僚機構を通じて、さまざまな規制をかけながら企業の指導等を行っていった。

 

これが大きな政府。政府も親もともに、さまざまな規制をかけながら、自分の子供を育てていく。

 

でも子供はだんだん成長していき、そして親が考えることを超えていく。

 

 

例えばjk 。ママやパパよりも、流行や、その時代の考え方に詳しくなっていく。ママやパパにはもう自分の娘の考え方がわからなくなっていく。

そして、遊んだりするのも、親の手を借りなくてもどんどんできるようになっていく。渋谷や原宿とかに勝手に遊んでいったりする。

 

 

この段階になると、今まで遊びや勉強などさまざまな規制をかけることはかえって逆効果になっていく。

 

jkなんかは門限など、自分の親の規制を鬱陶しく思ってる子は多い。だから口をひらけばいつも「ママガー」「パパガー」と言ってる(笑)。アベガー、維新ガーと構図は全く同じ(笑)。

 

 

民間企業も同じ。政府よりもはるかに優れたアイディアを出していくし、抑え込もうとすればするほど、経済は非効率になっていく。

 

大阪なんかはそれを理解し、公園や地下鉄の運営を民間企業に解放することで、税金を使わずに、どんどん活性化して行っている。

 

大阪と真逆なのが、日本政府。

 

たとえば、タクシー。今世界でウーバーが大人気。いつでも呼べるし、顧客からの評価が高いタクシーしか生き残れないから、相対的にサービスが良い。また、運転者にとっても、運転するだけでお金をもらうことができる。

 

ところが日本ではタクシー業界が行政と結託し、ウーバーの参入を認めない。そのため、まだ解禁されていないのである。

 

タクシー業界では顧客の評価が低くても生き残っていける。だからこそ、無愛想な運転手も残るなど、殿様商売が横行している。

 

 

こんな感じで民間企業が成長していった場合は、国はさまざまな規制を緩め、政府自体が縮小していくのが良いとされていく。これが「小さな政府」。そう、子供の成長に伴い門限や遊ぶ場所の指定などの規制を撤廃していくのが良いのと同じ。

 

 

ここからは発展編。
民間企業=子供がやれることが多くなった。じゃあ、政府=親は何もやらなくて良いのか?子育て終了で良いの?

 

 

それはそれでまた違う。確かに、政府=親は企業=子供の考え方などは理解できない。

けど、子供は所詮子供である。財力も親に比べてとても少ないし、何かに挑戦できる環境も持っていない。

 

 

そこで親の出番である。子供が何かに挑戦する時に、金を出して投資する。また、家を建て替えたりするなど、集中しやすい環境を整えていく。

 

 

これを政府でも同じ。政府は国民全員から税金を徴収しているため、莫大なカネを持っている。そのため、民間企業単独では到底できない事業でも、政府がお金を出せばできることもよくある。

 

環境整備でいえば民間企業がビジネスをしやすいように、例えば鉄道や道路を延伸させたり、医療機関を誘致したり、法人税を下げたりする。

 

 

また、自由といっても、何をやっても良いというわけではない。

 

子供だって自由だからと言って、他人のものを奪ったり、犯罪を犯して良いわけではない。親は子供に一定のルールを守らせる必要がある。

 

 

民間企業だって同じ。自由だからと言って長時間労働などが横行していたりするのは許されない。
そこで、政府は労働について定めたルールである、労働基準法などがきちんと守られているのかを点検し、もしそのルールに違反していた場合は、罰則を与える必要がある。

 

このように、子供や企業が成長してきた「小さな政府」の段階でも、環境整備や資金調達、ルール守っているかの確認など、親や政府が果たすべき役割は残っていく。

 

 

こんな感じで、大きな政府と小さな政府を、親子関係をもとに置き換えて説明してみた。日常生活で起こっていることが政治でも起こっているんだな、とわかることができる。

 

もっと政治の授業などを担当する人や解説する人が、日常生活の具体例と結びつけながら、教えることができたら、若者も親近感を持ち、政治に興味を持てるようになるのではないだろうか。

 

 

大都市制度について

 

大阪都構想の結果をうけ、名古屋や横浜など各地で大都市制度を見直す機運が高まりつつある。

 

そもそも、政令指定都市制度、これはなんとも中途半端な制度である。基本的に府県の7割ほどの権限を有する。しかし、税収の大半を占める固定資産税などは徴収できないなど、大都市を経営するには機能は不十分。一方で、広域行政も行えるなど、府県の権限を一部有することから、府県との対立も起きやすい。特に大阪はその弱点が顕在化している。

 

ところで、大阪はなぜそもそも府市との対立が起きやすいのか?これは大阪の地理的な要因も関係する。

 

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大阪は香川についで2番目に県の面積が小さい。都市化は、阪和線で言えば日根野あたりまでと、都心部から40ー50キロあたりまでと、大阪市内を大きく越えて都市化が進行している。

さらに、大阪市中心部は大企業の本社や支社が集まるところであり、大阪府内から市内へ多くの人が通勤しに行くため、大阪市大阪府双方を結ぶインフラ需要がかなり大きい。また、大阪市大阪府のど真ん中に位置している。


そんな地理的な特徴の中で、大阪市大阪府、似たような権限を持つ自治体が二つ存在している。市内を超えて一つの都市である大阪、その大阪府が大阪全域にまたがるインフラ整備をしようとしたら、大阪市内を通る必要がある。

 

しかしもしそこで大阪市財政赤字だから嫌だ、と却下すればインフラ整備は滞るし、実際にその状態が続いてきた。例としてなにわ筋線や淀川左岸線などなど…さらに、大阪市は公選区長が存在しないため、住民サービスも一人の市長が260万人を相手にしないといけない。当然裁き切れるわけはなく、その結果、西成などのスラム街は改善されることなく、放置されてきた。

 

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同じく23区を超え、八王子あたりまで都市化が進行している東京。広域行政は東京都、基礎行政は23区+郊外の都市が行うように、分離されている。インフラ整備も基本的には東京都知事がゴーサインを出せばどんどん進んでいく。

 

例として90年代以降に開業した路線でも南北線大江戸線つくばエクスプレス副都心線京葉線とこれだけある。行政機構がしっかりしているため、左翼知事を選ばない限り、どの知事でもそこそこの仕事は遂行できる。


以上の特徴を踏まえ、大阪は、大阪府大阪市を合併する、大阪都構想を提案してきた。


では、この都構想を全ての都市に当てはめるべきなのか?

俺はそうではないと思う。政令指定都市の権限を逆に強める特別自治市構想もあるし、地理的な特徴によってどちらが良いかを選ぶべきだとは思っている。

 

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例えば京都市京都市ははっきり言って、京都市とそれ以外の田舎。だからこそ京都市長京都府知事はあまり仕事内容が被らないし、役割分担もしやすい。京都府京都市の移動需要は大阪府と市の移動需要に比べても大きくはないため、別に両者が対立してインフラ整備が滞っても、大阪ほどの影響は出ない。

 

だからこそ京都市なんかは、逆に特別自治市制度を活用すべきなんではないかと思う。固定資産税を取れるようになったりすれば、京都の財政難も少しは解消するのではないだろうか。

神戸市と兵庫県とかも似たような感じではないかな。


ただ、今の政令指定都市で問題と言えるのは、公選区長を置いていない点。政令指定都市の市長が広域行政から住民サービスまで全てやらなければいけなく、仕事量が膨大である。特別自治市をやるにせよ、都構想をやるにせよ、公選区長は設置し、広域行政と基礎行政の分離は行うべきだと考えている。

 

追記
特別自治市を採用した場合の二重行政はどうなんだろうとはたまに思う。

セーフティネット論 〜金とつながり〜

 

去年の経験を踏まえ、俺はリーダーとは、メンバーが安心して何かに取り組めるよう、セーフティネットを整えることだと考えるようになった。そして俺が考えるそれは、①金②人とのつながりである。

 

①は当たり前のこと。世の中、金がなければ何も始まらないしできない。この視点は見落としてはいけない。

 

金か愛かみたいな議論あるけど、そもそも金がある程度なければ愛も何も始まらない。 

 

けど、学生はそれ心配する必要あまりないだろう。金をどう調達するか、俺自身もここは社会人になってから学ぼうと思う。

 

 

②に関して

これはめちゃ重要。近年、欧米の働き方とか見て、日本も今までのウェットな関係をやめ、実力主義にしようという動きが出ているが、俺はこのウェットな関係と、実力主義は二律背反ではなく、むしろウェットな関係が根底にあるからこそみんなが挑戦しやすくなり、結果実力主義社会になるのではないかと言う論理を持っている。

 

基本的に人は挑戦しようとすると、自分だけが報われない、評価されない、というある種の不満を持ち、ストレスを抱える。その時に自分のことを認めてくれるコミュニティが身近にあるだけで、だいぶそういったストレスを解消でき、よりみんなが挑戦しやすくなるのではないか、と思っている。

 

というわけで、去年副部長をやっていた俺は、とにかく部員同士のつながりの場を作ることに腐心した。オフで遊んだら飲んだりする回数を増やそうとした。

 

だが、

いきなりグループラインで、「みんなどっかいこー!」とか言ったところで誰も来ない。つながりの場を作るのはそれなりに時間がかかるのである。

 

そこで、まずは誰か一人と仲良くなることを心がけた。俺は一個下の後輩一人とめちゃ仲良くなり、飲んだり遊んだりするのを繰り返した。

 

 

次に、次第に遊ぶ人数を増やしていく。仲良くなった後輩+他の後輩数人、みたいな感じで遊ぶ人数を増やしていった。そら繰り返すと、集まるメンバーがある程度固定化していき、「いつメン」が形成される。

 

だが、ここで終わりではない。というのも、新しく入ってくる子がもし数人だけで盛り上がってるのを見たら、少なくともいいようには思わないだろう。

 

そこで、新しく入ってきた子に対しては積極的に話しかけ、いつメンでの遊びに積極的に誘っていく。遊びに行った時は積極的に話を振る。そうやって、新しく入ってきた子を積極的に輪の中にいれ、「いつメン」のメンバーをアップデートしていく。

 

特にこの3つ目の手順は見落としだが大事なことだと思う。

 

 

こんな感じで去年は部員同士でのつながりの場を作ろうとしていたし、その繋がりの場が今ではセーフティネットになるんではないか、と思うようになった。

 

もちろん最初からこのアイディア思い浮かんだわけではないし、その当時意識していたわけではない。むしろ、一個下の後輩がこう言ったアイディアで周囲の人とのつながりを作っており、それに感心し、学ばせてもらった。良い後輩をたくさん持った。

嫌韓嫌中に感じる違和感 そして維新について

 

最近、北朝鮮によるミサイル挑発など、再び国際情勢が不安定化している。

 

ところで、日本の野党4党(れいわ、立憲、共産、社民)は、いつでも「対話ガー話し合いガー」と主張している。

 

この人たちには国際政治に関する知識も歴史も何も勉強していないのだろう。自分の国は自分で守るのが歴史上見ても当たり前だし、対話が通じない相手には圧力をかけて交渉のテーブルにつかせるしかないのが鉄則である。

さらに、対話ガー!を言い続けた民主党は、韓国とも中国とも関係を悪化させた。いかに空虚でお花畑な議論かがよくわかる。

 

この野党の人たちが、韓国や中国、北朝鮮などに対してあまりにも譲歩的な姿勢を見せることに対しては俺としても納得はいかない。さらに、基地反対運動や日教組などが在日と繋がっているという話もある程度信憑性があるし、許してはならないことだと思っている。

 

 

しかし、一方で、自民党や一部の維新支持者の、嫌韓嫌中発言に対しても違和感を覚える。

 

この手の人たちはよく、韓国併合を美化し、南京事件を無かったことにする。しかし、歴史上見ても日本が韓国に置いて強制労働等を強いたのは事実であるし、南京事件も、数の正誤はあるにせよ、あったことは事実である。

決してそのことを美化してはならない。

 

もちろん、慰安婦のことなどで日本だけが悪者扱いされることはおかしいと考えている。

 

また、この手の人たちは中国人留学生などを増やすニュースを見るとすぐに叩こうとする。kpop なども叩く。

違う国の人と文化交流をしたことはないのだろうか。確かに、文化交流等を通じて中国が乗っ取るリスクはなきにしもあらずだし、それはしっかり動向を見る必要がある。

しかし、だからといって文化交流を通じて異国の人との交流をなくすことはあまりにも視野が狭いと感じる。

 

特に、維新支持している人やその議員が、この手の強硬発言をしていることに対しては疑問をかんじる。

 

創業者の橋下徹は外交に関しては、その手法をとっていなかった。韓国と日本の主張をそれぞれ分析し、日本が過去に韓国に対して行ったことをきちんと認めている。その上で、慰安婦問題など、今の日本が逆に韓国に対して主張すべきことなどを冷静に分析している。

 

維新とはこういう政党であるべきでないのか?イデオロギー対立に陥らず、社会制度にまで入り込んだ深い、本質的な議論を真正面からする。人間の汚いところやダメなところから逃げない。これでもかというくらい、地道な活動をする。

 

大阪の改革でも、道州制を見据え、さまざまな国の制度に踏み込みながら本質的な議論を行ってきた。橋下さんもその理念のもと、政党を立ち上げたのではないだろうか。また、その理念をしっかり我々が継承していくべきではないのだろうか。

 

それを理解せずに、外交などを中心に、イデオロギー強硬論に走る一部の支持者や議員を見て、少し幻滅している。